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蚊居田村(中世)


 織豊期に見える村名。長岡郡のうち。天正16年の蚊居田村地検帳に「土佐国長岡郡蚊居田村地検帳事」と見える。検地面積は187町9反余うち出田35町7反余,屋敷数155うち居屋敷102。塩浜38浜が記されており,1浜は「横六間・立(縦)不知」と付記されている。長宗我部氏の家臣のうち城主級の石谷・小野・安田・東小野・弘岡・香宗・池・本山・森・片岡・中村兵庫ら11人に,家老職家の中内・吉田・十市を加えた14人の重臣(多くは分で示される),その他多くの家臣に分散給与されている。永禄10年頃長宗我部元親は一領具足の農民武士を地域的な「衆組織」に編成し,軍事・経済上の基盤として夫役の徴収などに役立てており,当村にも韮生【にろう】衆・安喜衆・片山衆・廿枝衆など20衆の給地がみられ,その面積は42筆,5町余に及ぶ。当村の「衆」の組織は,一領具足4人・夫役4人で構成されていたという(南国市史)。永禄11年の一宮社再興人夫割帳には「下かいた衆」4人が見える(土佐神社文書/古文叢)。また同地検帳には「某扣」「某作」の注記が多く,扣主・作職名請人の台頭がみられ,一方「名」の注記も見え,名子・被官級の武士によって耕作される中世的名主経営も残っているという混然雑多の状態にあった。しかし,実際には「名」は形骸化したとみられ,たとえば「久直名」と注記のあるのは70筆,10町4反余で,そのうちの1筆であるホノギ「久直政所ヤシキ」は32代,中屋敷で「久直与介政所給」とあり,自ら10筆,1町4反余を耕作していた。そのほか「徳楽名」10筆,1町2反余,「久野名」9筆,8反余,「友米名」19筆,2町7反余,「行延名」14筆,2町8反余などが見えるだけである。神社では,大和の豪族葛城族の祖利根命を氏神として祀る剣尾神社があり,社領は19筆,2町2反余,同社神主に5筆,5反余,同社禰宜に1筆,2反余などが給されている。寺院では常光寺(寺領20筆,2町2反余),善福寺(寺領9筆,1町3反余),長泉寺(寺領2筆,2反余),善勝寺(寺領1筆,1反余),円妙寺(寺領2筆,22代余)などが記され,そのほかに一和尚分8筆,8反余があり,一和尚は剣尾神社別当を兼務した。同地検帳のはじめに「東ワ鏡(香我美)郡上ノ座分南ヨリ西ワ長岡郡蚊居田村傍爾ワ円妙寺鎮守ノ社堺ナリ」とあり,円妙寺領であるホノギの「寺中ノ西」から検地が始められている。同地検帳には「是ヨリ八松ノ町」として19筆が記され,ホノギに細ケ前・観音堂・政所ヤシキなどがある。次いで「是ヨリ西浜ノ町」として23筆があり,ホノギはすべて政所ヤシキである。次いで「是ヨリ光田□□□」として9筆が記されるが,虫損でホノギ名は不明。当村のホノギに剣尾宮ノ前・宮タ・大浦・西浜ノ後・ウハクラ・西アラタ・石橋・城ノ前・ヲク沢・ウシアケ・エイ酒・島ノ前・大明神ノ芝・ツゝミ崎・ハラモト・市ヤシキ・城ノ後・沢城北三ノ塀・松木・常光寺ノ上・土居ノ前・二ノ塀・政所ヤシキ・在家タ・小田ノ宮ノ東・細工所・菖蒲タ・一和尚寺中・土居ノ後・野尻ノ堀・三ツ城東ノ谷・細工屋・中ノ坪・船付溝越などがあり,明治25年作製の里改田村絵図面によるとホノギが102記されているが,そのうち同地検帳に見えるものは78である。また当村の中央部に蚊居田城があり,扇状地にあって伏流水が多く,周囲が湿潤地帯であるため沢城とも呼ばれた。前記地検帳では集計面積は9反余,城塁を加えると1町2反余となる。また城の東北部にはホノギ「市ヤシキ」1反余があって市の経営を物語る。同地検帳に記載された地域は現在の南国市里改田・浜改田一帯に比定される。下って文禄4年10月23日の藤崎伝介知行坪付では「かいた」の徳久亀介分など11か所,1町5反余が給地として宛行われている(蠧簡集)。同5年8月24日の長宗我部盛親判物では,「かいた庄屋かた」に宛てて水主触れの遅れをなくし日限を守るよう命じている(拾遺)。慶長2年3月24日の秦氏政事記には中五郡諸奉行として「一,吉原・久枝・前浜・改田・十市・池村 六ケ所十分一 請定」,また中五郡代官庄屋として「一,蚊井田 刀禰〈四反三十壱代〉禰宜藤五郎」とある(蠧簡集)。同3年12月10日の堀内権丞知行坪付では「蚊居田」などの23か所,2町5反余が給地として宛行われている(同前)。また同4年2月3日の抜左衛門知行坪付でも「カイタノ村」の1反(宮崎藤介分)が岩村の替地として宛行われている(竹頭)。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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