塚地(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ高石村,昭和29年高岡町,同34年からは土佐市の大字。明治24年の戸数107・人口509(男275・女234),厩1,船4。昭和58年の世帯数104・人口406。勤王の志士で自由民権運動家である明治新政府の要人中島信行は当地の出身。彼は同志中島与一郎・細木核太郎と元治元年に脱藩,坂本龍馬の海援隊に加わりともに国事に奔走し明治新政府樹立に貢献し種々の役職についたが,自由民権運動に加わり板垣退助を助け自由党副総裁にもなり国会開設に努めた。明治22年帝国議会が開会されると第1回衆議院議長となり,その後も貴族院議員・特命駐伊大使などの要職についた。純農業地帯であるが,近年土地改良基盤整備も進み,米作のほか蔬菜園芸が盛んとなった。また当地は古来石工が多く,現在にその伝統を伝え,石材工業が行われている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7436318 |





