斗賀野村(近世)

江戸期~明治22年の村名。高岡郡のうち。土佐藩領。村高は,寛永地検帳1,880石余(南路志),寛文7年の郷村石付では「斗加野村」とあり同高,寛保3年の郷村帳でも「斗加野村」と見え1,879石余,「天保郷帳」1,902石余,明治3年の郷村帳では2,327石余(本田1,879石余・新田448石余)。元禄地払帳によれば「度賀野村」と見え,本田は深尾若狭知行で1,879石余,新田は深尾若狭役知で40石余。中世の度賀野荘より鳥ノ巣村・尾川西山村が除かれ,それぞれ三野・尾川村に入った。慶長6年8月19日の深尾与右衛門宛の山内一豊知行宛行状には「百七拾六町九反卅七代四歩 斗賀野村」と見え,ほかに「同村西山村」として9町7反余が記されている(深尾文書/佐川町史)。「土佐州郡志」によれば,「在佐川本村,東限戸波界,西限尾川村,南限桑田山村,北限三野之丸山川,東西五拾町余・南北一里,戸凡二百二拾有余,其土黒」とあり,小村は三木・大平・薄木・宮之前・川之内・由野口・町田・西山・祝口・伏尾・二之平。寛保3年の郷村帳では,戸数256・人数1,085(男600・女485),馬178・牛13,猟銃1。享和元年の「西郷浦山分廻見日記」によれば,庄屋勘助,高1,879石,新田28石余,家数322・人数1,220,馬253,猟師筒1,「九歩通り田方」で「作間働佐川より運送日用,柴薪佐川へ出,極困無之」とある。人数は,文化7年1,302,天保5年1,494(斗賀野村史)。虚空蔵山・蟠蛇森は狩猟のための御留山であった。寺社は,「土佐州郡志」では観音堂・地蔵堂・白倉大明神社・三木大明神社・天神社・正八幡社・岩佐大明神社・四社権現社・川内大明神社,「南路志」では白倉大明神・御備大明神・権現・正八幡・岩佐大明神・荒神・姥神・川内大明神・四社権現・北野天神・地蔵3・不動・観音3・竜生寺が記され,竜生寺は退転して本尊のみ残るとある。明治4年高知県に所属。同22年斗賀野村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7436447 |





