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野友(近代)


 明治22年~現在の北川村の大字名。もとは江戸期の奈半利村枝郷野友村。当地は北川村の行政的中心をなす。明治24年の戸数251・人口1,269(男692・女577),厩245,寺院2,学校1。昭和29年野友地区世帯数127・人口568(男277・女291),久府付地区は世帯数39・人口189(男89・女100),田地は野友地区42町9反・畑8反2畝,久府付地区田12町9反・畑3町(北川風土記)。同55年の世帯数153・人口494。村役場ははじめ柏木の戸長役場を用いていたが3年ほどで当地の万福寺へ移転。その後何度か移転し,昭和41年に現在地の野友甲へ移った。明治期の奈半利村に通じる道は,野友八王子宮の前から芝崎を経て,奈半利川の堤防の上から五反島へ下り,南方へ行き,長田に出ていたので,車の通行はできなかった。明治37年郡道北川線が開通,同路線に沿って人家が集まるようになった。同39年頃手島武太郎は奈半利へ出て馬車の運転を始めた。明治10年簡易小学校が設置され,同22年野友尋常小学校が創設された。大正元年8月の大暴風雨は雨量432mmを記録し,学校・村役場から人家,田畑などに大被害を出した。その後人家に防風のための石垣が築かれた。同14年北川尋常高等小学校校舎建築。昭和22年北川中学校開校。同40年社会体育館落成。同48年北川小学校・北川中学校共同調理場完成。同49年北川中学校寄宿舎完成。北川小学校は昭和45年木積小学校,同51年小島小学校,同55年菅ノ上小学校・島小学校をそれぞれ統合した。また北川中学校は昭和48年島中学校,同51年小島中学校,同55年菅ノ上中学校を統合した。野友井はもと野川口の下にあったが,たびたびの洪水で井堰が破損し,多額の費用を要するので柏木の巻から自然流入の用水路を設け,延長2.5kmの井堰を昭和8年に竣工した。しかし,同30年代の奈半利川電源開発に伴い廃され,野川口の下の井堰からのポンプアップに切り替えられている。明治25年柏木に開設された柏木郵便局は,大正9年に廃止され,野友郵便局が新設された。大正5年北川信用販売組合を設立。昭和17年北川村森林組合を結成。同23年には北川村農協が発足した。同43年にはNHK北川テレビジョン局が開局。同55年農協に県下最大のユズ搾汁所が完成した。同56年村婦人の家が久府付に完成した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7436926