平山(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ奥内村,昭和26年大内町,同32年からは大月町の大字。明治24年の戸数30・人口145(男77・女68),厩2。明治38年浜田綱蔵が高野山から弘法大師の木像を迎え大師堂を建立,同像を安置した。また古くから地蔵ケ峯にあった薬師の石像を移してともに祀った(わが町の文化遺産)。昭和19~20年,平山から柏島に至る篠津坂の険路が軍用道路として奥内村民の労働奉仕により開通,同34年県道に昇格。昭和24年浦尻漁業協同組合設立。平山・頭集・浦尻地区を管轄する浦尻漁協の同37年の経営体数は総数40,無動力船31,動力船3t未満4・3~5t5(沿岸漁業構造改善)。同48年幡多縫製平山工場設置。同56年の世帯数101・人口321。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7437145 |





