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槙山郷(近世)


 江戸期の郷名。香美郡のうち。土佐藩領。寛文7年の郷村石付は「槙山ノ内」として別府・市宇・別役・岡ノ内・根木屋・小浜・押谷・仙頭・山崎・大栃・頓定・中谷川・拓【つぶせ】・庄谷相の14か村を記す。「元禄地払帳」は拓村を庄谷相村に含めて13か村,「土佐州郡志」は「属大忍庄槙之山谷」として14か村,「南路志」は「大忍庄槙山郷」として拓村を除く13か村を記す。郷高は寛永地検帳342石余(南路志),寛文7年の郷村石付は341石余,元禄地払帳は本田341石余・新田1,293石余,寛保3年の郷村帳は341石余と本田分のみ記す。文化12年の本田341石余うち御蔵入326石余,大庄屋給6石余,別府口番人給8石余,新田2,028石余うち御蔵入1,494石余,庄屋給14石余,仙頭村小使給1石余,岡ノ内杉熊・船ケ谷御山番給3石余,残514石余は小松虎蔵ほか郷士33名の領知,切畑2,253石余(柀山風土記)。「天保郷帳」は1,283石余,明治3年の郷村帳では「槙野山郷総分」として3,303石余(本田341石余・新田2,961石余)。寛保3年の郷村帳では,戸数787・人数4,557(男2,305・女2,252),馬3・牛286,猟銃256。文化12年の戸数876(庄屋・番人・惣老・名本14,御山番2,五人組頭・百姓662,御用人1・郷士9・浪人4・御家中家来3,陰陽師・神子49,間人111・諸蔵人9・神主12)・人数4,667(男2,419・女2,248)うち庄屋・番人・惣老・名本98,御山番・組頭・百姓3,586,浪人21,神主・社人83,諸職人109・間人596・木地挽56・御用人4・郷士77・御家中家来23,誓渡寺・光明寺僧俗5,山伏9,牛407(百姓持400・郷士持7)・馬3(郷士持),作間猟師鉄砲261(猟師254)・威筒98(討手98)・御番筒13,関所1(別府口・御番所1・柵門1),御米倉1(中谷川),葛橋3か所(大栃・押谷・岡ノ内),御留山38か所(古留山25,天和3年1,元禄3年3,同7年7,宝暦6年1,同12年1),所林16,神社121(式社小松神社1・準式社郷社塩峰公士方神社1・大宮13・小宮106),寺2(誓渡寺・光明寺),古寺跡8(十林寺は庄谷相,妙楽寺は拓,善福寺は中谷川,常楽寺は大栃,善法寺は仙頭,金剛福寺は押谷,観音寺は別役,極楽寺は一宇にある),堂29,仏像54,古城跡6。また産物は紙・楮・大豆・小豆・茶に御用割付があり,竹は御用買上げのほか菜種・荏胡麻・蜜・木茸・五倍子・蒟蒻・麻苧・太布・茅畳・椎茸・山芍薬・葛粉・ツヅラ・竹子皮・柿・梨・栗・柏・実・椎・樫・桃・柚・蜜柑・材木(檜・槙・杉・槻・樫)・檜縄,作物としては米・麦・粟・稗・黍・豆黍・エンドウ・大豆・小豆・芋・カシウ・唐芋・蒟蒻・胡瓜・南瓜・夕顔・茄子・大根・麻苧とある(柀山風土記)。槙山郷大庄屋は慶長9年岡ノ内の岡内弥十郎が初代。正保2年小松左兵衛の時に大栃に移る。明治20年赤岡警察署大栃交番所を設置。同年11月大栃・岡ノ内に巡査派出所を設置。同21年大栃・仙頭・岡ノ内・市宇各村に赤岡警察署巡査駐在所を設置(県警察史)。明治18年農商務省山林局高知山林事務所大栃派出所を設置。翌19年高知大林区署大栃派出所となった。明治10年には大栃・岡ノ内に郵便局が設けられていた(県史近代史料)。同13年の小学校数7(庄谷相・頓定・大栃・山崎・仙頭・岡ノ内・根木屋),生徒数219(同前)。同21年赤岡区裁判所大栃出張所を設置。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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