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三原村(近代)


 明治22年~現在の幡多郡の自治体名。来栖野・下長谷・芳井・上長谷・狼内・宮之川・皆尾・柚木・弘(広)野・亀之川・下切の11か村が合併して成立。旧村名を継承した11大字と狼内村の小村であった成山村を大字とし計12大字を編成。役場は来栖野に置かれた。村名は中世以来の三原郷にちなむ。村域が広大なために市制町村制第64条の規定により大字を区とし,第1区下切,第2区亀ノ川,第3区広野,第4区柚ノ木,第5区宮ノ川,第6区来栖野,第7区皆尾,第8区下長谷・芳井,第9区上長谷,第10区狼内・成山として各区に村長の補助機関として区長を置いた。芳井と成山の両集落は区域が狭く人口も少ないため,芳井は下長谷に,成山は狼内に包含されていたが,のちに独立し,芳井は大正12年第8区,成山は昭和10年第12区となった。もと第8区の下長谷は第9区に,第9区の上長谷は第10区に,第10区の狼内は第11区となる(三原村史)。江戸期の各村々が有していた山林・林野は,住民の生活基盤となっていたため,当村の成立後も自治体の所有とはならず,各地区有林として残された。その後内務省の行政指導が進められ,大正14年に統一整理が行われた。この結果当村の所有に移しその直営林とするもの(直営地),当村の所有としたうえで各地区に対して地上権を設定するもの(地上権地),同じく当村の所有とした上で各地区の住民個人に対して分割売却するもの(移転地)にそれぞれ統一整理された。三原村全体では直営地790町9反余・地上権地783町1反余・移転地836町6反余となった(三原村史)。明治24年の戸数454・人口2,288(男1,233・女1,055)。昭和7年頃の資料によれば,面積5.42方里,反別444町,戸数564・人口2,915,産業は農産6万7,260円・畜産6,357円・林産1万3,750円・工産1万4,120円(県誌)。同11年の生産総額31万7,353円うち農産17万7,633円・畜産8,392円・林産11万6,728円・工産1万4,600円,主要生産品は米・木炭・繭(経済一覧)。人口は明治35年2,640,大正9年2,759,昭和5年2,865,同25年3,665,同45年2,427,同58年2,156(男1,054・女1,102)。昭和56年の農家戸数439・工業戸数5・商業戸数48。昭和54年村農協が設置運営する家畜市場を開設,毎月2回市場を開き,同57年1~12月の販売頭数5,585頭うち村内産3,353頭,販売価格1億1,200万円うち村内分6,700万円。施設イチゴは主として村の中央部・東部および南部の各地区で栽培され,栽培面積は昭和57年度113aで,前年度の70aに比べ2倍となっている。販売実績は昭和56年度約8万8,000パック・2,200万円,同57年度12万パック・2,700万円。耕地面積は明治22年の土地台帳で田332ha・畑112ha。昭和35年田325ha・畑98ha・樹園3ha同40年田334ha・畑79ha・樹園6ha,同45年田338ha・畑68ha・樹園26ha,同50年田294ha・畑36ha・樹園38ha(農業センサス)。山林は昭和55年の土地台帳によれば,私有林3,307ha・村有林987ha・国有林3,080ha・牧場(個人有)30ha・原野357ha・その他276ha。村立小学校は昭和51年5月までは本校1校と4学年までを収容する分校として東・南・西・芳井の4校があったが,児童減少のため同52年芳井分校を南分校に統合,次いで同55年東・南・西の3分校を本校に統合した。同57年4月現在の小学児童数161,中学生徒95。昭和57年下長谷の一部から上下長谷を起立,13大字となる。同58年には下長谷と芳井との間で境界変更が行われた。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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