鏡村(近世)

江戸期~明治9年の村名。御井郡のうち。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。北野組に属す。村高は,「元禄国絵図」393石余,「在方諸覚書」の古高500石余,「天保郷帳」426石余,「旧高旧領」608石余。河北の地は地味肥沃でありながら,筑後川の水位が甚だ低く灌漑に不便で,多くの村が干害にあえぎ疲弊・荒廃しがちであった。当村庄屋高山六右衛門は稲数村・八重亀村・高島村3村庄屋らとともに床島堰の実現を企図し,宝永7年21か村庄屋連判で藩に願い出て,正徳2年御用手伝御用聞役として大工事を竣工させた。この結果28か村,古田887町余・畑田540町余を灌漑した(筑後川農業水利誌)。文化4年の田38町余・畑24町余(農政農民史料集)。嘉永7年櫨実を北野組総生産高7,230斤中324斤を生産(豊田家諸日記)。浄土宗鎮西派専称寺は高山嘉左衛門の開基で,境内に高山六右衛門の墓があり,寺には床島堰設計及作業絵図などが伝わる。鎮守の鏡天満宮のほか不動尊・地蔵尊・観世音・釈迦・坂本宮などの小堂宇がある(寛延記)。明治9年金島村の一部となる。現在の北野町金島の西部にあたる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7439127 |





