徳力(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ東紫村,明治40年企救村,大正6年企救町,昭和12年小倉市,同38年北九州市小倉区,同49年からは同市小倉南区の大字。明治22年の戸数65・人口416,地積は田63町・畑6町・山林31町など計126町。農業地域であったが,昭和40年頃から徳力公団住宅が建設され,国道322号沿いは急速に市街化が進行。同45年には徳力団地のみで2,311世帯・7,554人を数えた。同年志徳中学校,同48年には企救丘小学校開校。一部が同58年企救丘1~5丁目・志徳1~2丁目・山手1~3丁目,同60年長行東【おさゆきひがし】1~3丁目・長尾1~6丁目となる。同年にはモノレールが完成し,徳力公団前駅・徳力嵐山口駅開設。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7441832 |





