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西浦村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。筑前国志摩郡のうち。福岡藩領。元岡触に属す。天正年間の「指出前之帳」では北崎村にふくまれる。村高は,「慶長国絵図」662石余,「正保郷帳」742石余(田432石余・畑310石余),「元禄国絵図」742石余,「天保郷帳」787石余,「旧高旧領」786石余。寛永17年異国船渡来監視の番所が置かれた(黒田新続家譜)。明和年間波止を築く(地理全誌)。筑前下浦に属する浦の1つで,漁業中心で,享保2年の船数35はすべて漁船であった(続風土記拾遺・鎌田文書)。享保元年より9年間水夫役32人のうち3人を免ぜられた(黒田文書)。文化13年から文政7年までの間に4度も火災に見舞われ,毎回142~187軒も焼失した(黒田文書・県史資料2)。白木大明神社,曹洞宗海雲山清善寺・真宗西派眺海山西照寺がある。元治元年~明治4年に寺子屋が存在した(日本教育史資料)。明治初期の戸数262・人口1,152(男586・女566),牛127,田30町余・畑51町余・大縄田畑2町余・山林9町余,池5,専ら漁を業とし,漁家146戸,網数42張があり,物産は海魚・海藻,船舶56(漁船51・小漁船5),正租は米・大豆362石余,雑税は米・大豆10石余と金8円余(地理全誌)。明治7年西浦小学校設立(文部省年報)。同22年小田村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7442279