100辞書・辞典一括検索

JLogos

22

深浦村(中世)


 鎌倉期~戦国期に見える村名。筑後国三池郡のうち。はじめは近衛家領三池荘北郷に属した。建長2年10月23日の関東下文(深堀文書/佐賀県史料集成4)によれば,上総国の御家人深堀左衛門尉能仲が承久の乱勲功の替地として三池荘北郷内甘木村東西ならびに深浦村地頭職に補任されている。しかし,同氏はわずか5年足らずで再び替地を要求し,建長7年3月には肥前国戸八浦に地頭職を得てそこへ移った(同前)。下って天文19年頃と推定される三池氏等知行坪付(田尻文書/佐賀県史料集成7)の中に「三池殿持分」として「ふかうら」13町が見える。天文19年,三池親員は菊池義武と結んで大友義鎮に叛き,このため田尻親種らに攻められて没落,その所領は大幅に削減された。しかし,このあと甥の親高が義鎮に従ったため,深浦は三池氏領として安堵されたのであろう。その後天正7年,竜造寺氏の筑後進出に際し田尻鑑種はこれに協力,大友方の三池鎮実を討って更に三池領を圧迫した。この頃の田尻鑑種知行村付(同前)には,「ふか浦村」13町が加えられており,同村が田尻氏によって掌握されていることがわかる。なお,天正15年の豊臣秀吉による九州統一後は高橋統増(直次)の知行地に組み込まれ,文禄4年12月1日の三池郡内知行方目録によれば村高は354石9斗7升とある(大牟田市史)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7442905