御牧郡

遠賀郡から改称された正確な時期は不明。室町期の応永32年7月10日に足利道詮(義持)が出した御教書(案)に見えるのが初見で,これによれば渋川満頼に「筑前国御牧郡内頓野・広渡・底⊏⊐(井野)・香月・上津役等跡」を宛行っており,同22日には管領畠山満家の施行状が出されている(蜷川家文書1/大日古)。下って永正14年3月26日,筑紫百宝子丸が所領の坪付を記した中に「同(筑前)国三牧郡之内 一所楠林百六十町」と見える(筑紫古文書/嘉穂地方史古代中世編)。天文19年11月9日,大内義隆は平青綱を「筑前国御牧郡山鹿庄狩尾宮戸脇宮大宮司職」に補任した(波多野文書/博多史料4)。義隆は,同20年4月22日,藤原長吉を「筑前国御牧郡朝木大明神社大宮(司)職」に任じている(児玉韞採集文書3/同前)。また,弘治2年9月5日,大内義長は「筑前国御牧郡広渡拾石足地〈杉伯耆守跡〉」を渡辺主計允に宛行った(萩藩閥閲録166)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7443500 |





