本合村(近世)

江戸期~明治初年の村名筑前国粕屋郡のうち乙犬山の南西,若杉山の西に位置し,南側を須恵川が流れる地名は,甕【もだい】(大きい酒壺)に由来し,隣村の酒殿と通じるものがあると伝える(続風土記拾遺)福岡藩領旅石触に属す「元禄郷帳」「天保郷帳」では植木村枝郷と注記されている村高は,「元禄国絵図」251石余,「天保郷帳」392石余,「旧高旧領」387石余寛政5年の家数35・人数142(男85・女57),弘化元年の人数は男91・女70の合計161(須恵町誌)弘化3年の組頭は3名蔵納高は163石余,給知高324石余であった文化12年から周辺の村々と導水をはかり,10年後に完成したが,これを新大間池仕掛溝といい,若杉山の谷川から駕輿丁池に水を引くものであった(同前)菅原神社や浄土宗鎮西派林松庵がある明治6年の戸数40・人口196(男99・女97),田25町余・畑7町余・新田4反余・山林59町余・新開地6反余,物産は櫨実・種油・小児丸など,溜池は5か所,正税は米・大豆145石余,雑税は米・大豆4石余と金74銭余(地理全誌)同8~11年までには植木村に合併現在の須恵町植木のうち乙植木にあたる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7443680 |