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小城町(近世)


 江戸期~明治22年の町名。小城郡のうち。小城藩領と佐賀本藩領。北郷に属す。岡町・小路とともに小城城下町を形成。村高は「旧高旧領」では小城藩領282石余・佐賀本藩領3石余。享和元年写「御領中郷村附」では小村に上町・中町・下町がある。「元茂公御年譜」によると,寛永年間に祇園川沿いにあった当町を藩主元茂が現在地に移し南北に建設し直したという。桜岡に陣屋がおかれ,その北西に武家屋敷,北東に町屋が開かれた。大庄屋は犬山家で,町奉行の下には別当が置かれた。宝暦・明和年間の座数は唐薬種1(仰渡)。寛政元年の従上使御尋書による市開催日は9・13・15・17・19・23日であった。天保元年の御領中人数家数調による人口は950(男530・女417),家数216。明治元年当時の別当は庄蔵(昭和9年刊小城郡誌)。明治4年佐賀県と小城県,同年伊万里【いまり】県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。「明治7年取調帳」では小路の枝町として見え,「郷村区別帳」では元小路の枝町として見える。なお「小城郡村誌」によれば,明治4年岡町・小路・布施ケ里の3か所(あるいは岡町を除いて2か所)と合併して小城町となる。「明治11年戸口帳」によれば当町は北小路(21戸・113人),東小路(9戸・41人),西小路(36戸・114人),中小路(10戸・59人),新小路(21戸・112人),畑田小路(11戸・55人),永岡小路(20戸・71人),鯖岡小路(20戸・107人),下岡小路(6戸・38人),上町(82戸・418人),中町(65戸・332人),下町(87戸・413人),蛭子町(54戸・257人),岡町(76戸・344人),正徳町(53戸・306人),朝日町(36戸・175人),大手町(56戸・219人),布施ケ里(15戸・89人)に分かれており,合計戸数678・人口3,263。物産に素麺があり,年生産額約75万斤・町内製作戸数100戸余で最上品を高原素麺といい神埼素麺より優れていた。東小路にある桜岡小学校には中学課が併設され,生徒数は明治9年男217・女82,同14年男330・女170(小城郡村誌)。小路の浜には明治13年,鍋島家からの出資を仰いで士族結社自力社が設置され,「仏蘭西機十四組ヲ設ケ置テ織物ヲ為ス」として女工35名を養成し,年間に反物1,153反を生産したが明治24年に解散となった(同前)。岡町は明治維新期の小城藩・小城県・小城郡の中心地点で,正徳町には個人扱いで小城町郵便局,朝日町の無量寺には明治8年政社自明社の会議所が設置された。なお,同寺は幕末から維新期にかけての種痘接種所にもあてられていた。明治22年市制町村制施行。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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