小城郡

江戸期の当郡は佐賀藩領となり,元和3年鍋島元茂が分家して支藩としての小城藩が成立するとその所領の大部分が当郡に設けられた。当郡の村数・石高などは,「慶長国絵図」では田方3,774町余・畑方876町余,高5万1,066石余(うち寺社領536石余),物成3万2,703石余,ほかに小物成318石余。「寛文朱印留」では144か村・高4万6,409石余。「元禄国絵図」でも高4万6,409石余。「宝暦郷村帳」では山内郷・五百町郷・三ケ月郷・北郷・南郷・晴気郷・東郷・西郷・平吉郷・戸川郷・上多久郷・中多久郷・下多久郷の13郷に分けられ,村数170か村・小村数125か村・寺数226(うち天台宗32・曹洞宗22・法華宗60・一向宗15・真言宗1・臨済宗94・浄土宗2)。「天保郷帳」では144か村・高5万2,409石余。「旧高旧領」によれば,68か村・高4万1,137石余で,佐賀本藩領22か村・1万4,385石余,小城藩領46か村・2万6,751石余。人口は,貞享4年の郷村帳によると3万8,243人(男2万3,904人・女1万4,339人)。天明6年の記録では人口1万9,444人(男1万2,131人・女7,313人)。小城藩主とその家臣ははじめ佐賀城下に居住していたが,2代藩主直能の延宝年間以後小城に移り住むようになり,3代藩主元武の時代には小城に藩邸が設けられた。主な産業には天山山麓における和紙製造,晴気村の農具,北目筋での石炭採掘がみられる。平吉郷の牛津町は長崎街道の宿場として,また舟運の便による物資の集散地としてにぎわった。明治4年佐賀県・小城県,同年伊万里【いまり】県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。明治4年の大区小区制では第16大区から第21大区にあてられ,明治8年には全郡を第4大区とし,明治9年には三潴県第18大区,長崎県管下では第39大区とされた。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7444763 |





