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神埼郡


「肥前国風土記」には9郷・26里・1駅・1烽・1寺とみえるが,郷は三根・船帆【ふなほ】・蒲田【かまた】・宮処【みやこ】の4郷についてしか記載がない。「和名抄」にある郷は蒲田・三根・神埼・宮所(宮処)の4郷である。「和名抄」では三根を「美禰」と訓じ,「肥前国風土記」三根郡の条にあるように海部直鳥【あまべのあたいとり】が神埼郡三根村を独立させて三根郡を設けたとすれば,この地は海部直鳥の本拠地であったと思われる。その所在は神埼郡の郡家(神埼駅付近)の西にあったとするので三根川(城原川)流域であろう。この川は海に直接流入していたとあるから,現在のように筑後川に合流していたのではなかったと考えられ,景行天皇が「御寐安【みねやす】の村」と名づけた伝説を引いている。船帆郷は在地の諸豪族たちが船に乗って集まり景行天皇に供奉した所というから,郡家の西,三根郷の南に位置し,海により近い付近であったと考えられる。蒲田郷は遺称地に蒲田津(現在の佐賀市蓮池町)があり,城原川が筑後川に合流する地の右岸である。したがって船帆郷のさらに南に位置し,かつては海に面した地域であろう。さらに郡家の西南には宮処(宮所)郷があり,ここは景行天皇の行宮の置かれた地というが遺称地はない。「和名抄」では美夜止古呂と訓じている。現在の千代田町の西南部地域と推定される。「和名抄」の神埼郷は駅もあり,神埼町付近と推定されるが,他の4郷はこれら5郷の東部に位置すると思われるが不明な点が多い。開発が進むと,「続日本後紀」にあるように,承和3年神埼郡の空閑地690町が勅旨田となり,やがて院御領,後院領となって,肥前国で最大の神崎御荘3,000町と称されるようになった。他にも三津荘57町・石動【いしなり】荘47町などがあった。神社としては櫛田【くしだ】神社があるが,祭神は「肥前国風土記」までさかのぼるともいわれ豊次姫【とよつぐひめ】とも伝える。本地は薬師如来で,櫛田三所大明神といわれ,高志宮(本地阿弥陀如来)・白角折【おしとり】宮(本地不動明王)などと本末関係を有する鎌倉後期の成立とみられる。貞観15年肥前国正六位上白角折神に従五位下が授けられている(三代実録)ので,中心的存在であったと考えられる。他に仁比山【にいやま】神社・脊振【せふり】神社・境原若宮神社をはじめ60社以上ある。三田川町田手の真言律宗の東妙寺は弘安年中に異国降伏の祈願のため,西大寺の唯円を住持として創建され,公武の勅願所とされた。同寺には国重文に指定された木造聖観音立像(藤原期)・木造釈迦如来座像(鎌倉期)があり,さらに懐良親王の紙本墨書梵網経(国重文)があり,天授4年に書かれたものである。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7445055