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新村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。松浦郡のうち。佐賀本藩領。有田郷に属す。村高は「旧高旧領」では637石余。「宝暦郷村帳」では小村に堺野村・戸尺村・箱場【かこぱ】村・後川内村・外尾【ほかお】村・外尾原・大野村がある。「天明郷村帳」でも村名は見えるが,堺野村(小村に戸沢村・戸屋村がある)・箱場村(小村に後河内村・大野村・外尾村・外尾原がある)がそれぞれ別に1村として見え,当村には小村が見えない。「旧高旧領」でいう新村とは,「宝暦郷村帳」に見える小村を含んだものと考えられている。なお,「慶長国絵図」には外尾村・大野・鳥屋・境野の名が見え,いずれも「曲川ノ内」とある。「正保国絵図」「天明村々目録」では外尾村が村高158石余,「天保郷帳」では同じく外尾村が117石余とある。箱場は江戸後期には嘉古場とも書き,さらに桑古場と変化し,「かこば」と呼ぶ。また,戸尺はのち戸杓と書き,戸屋ものち戸矢と記す。当村の南は大村藩領と隣接するため,藩境に近い戸屋には佐賀藩の番所が置かれていた。明治4年佐賀県・伊万里【いまり】県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。明治初期には一時有田新村と称した。また年月日は不明だが,明治初期に,江戸期には有田皿山に属していた外尾山・黒牟田山・応法山・南川原【なんがわら】村が当村に編入された。ただし,南川原村はのち曲川村に編入される。「郷村区別帳」「明治7年取調帳」では有田新村とあり,枝村に外尾山村・南川原山村・黒牟田山村・応法山村が見える。「郷村区別帳」では反別418町余。「明治11年戸口帳」によれば,「新村」と見え,戸数783・人口3,358。明治13年の新村協議費決議届によると同年1~12月の収支予算296円20銭,戸数割を賦課する戸数643。同15年の新村字外尾宿の戸数48・人口220(男115・女105),物産は米・麦・雑穀,車両は人力車5・荷車3。字外尾山の戸数60・人口326(男168・女158),物産は陶器,車両荷8。字黒牟田の戸数96・人口406(男201・女205),物産は陶器,車両荷3(共武政表)。明治11年西松浦郡に属す。同22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7445619