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中野村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。杵島郡のうち。佐賀本藩領。武雄【たけお】郷に属す。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに368石余,「天保郷帳」では423石余,「旧高旧領」では568石余。給人・地米高は,「玄梁院様配分帳」では鍋島十左衛門267石余,「大小配分石高帳」では鍋島上総267石余。寛永19年「諸村田畠斛積帳」では,反別は田27町余・畑13町余。享保年間蓮池藩領川古郷川上村と同村の豆板井樋をめぐる水論が起きている。佐賀本藩の裁決は,中野村に6割7分,川上村へ3割3分の割合で配水することとなる。明治4年佐賀県・伊万里【いまり】県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。「明治7年取調帳」では枝村に川上村・黒尾村・繁昌村がある。「郷村区別帳」では枝村に黒尾村・川上村・繁昌村があり,反別178町余。「明治11年戸口帳」によれば,当村は中野村(110戸・595人),佐賀本藩領川上村(48戸・87人),蓮池藩領川上村(87戸・425人),黒尾村(50戸・147人),繁昌村(40戸・232人)に分かれており,合計戸数339・人口1,686。明治13年の一村取調帳によれば,国税金82円12銭7厘,賦金317円31銭9厘,総戸数368(士族74・平民294),総人数1,319(男871・女848),牛5,馬34,人力車10,寺は曹洞宗2・真宗1,神社は村社1・雑社2。同22年朝日村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7446102