波瀬村(中世)

戦国期に見える村名。松浦郡のうち。戦国末期,岩屋村との境界である白【しろ】山(獅子ケ山)山頂には松浦党の庶流鶴田氏の居城が築かれ,獅子ケ城と呼ばれた。永禄年間,同じ松浦党の庶流波多氏と鶴田氏の間に家督相続をめぐる争いが起こり,波多氏はたびたび獅子ケ城を攻めた。年未詳7月17日付の松浦道可(隆信)書状に「先日者,於波瀬村,鎮衆取出候砌,被遂防戦,御勝利,千勝万勢,不可過之候」とある(鶴田家文書/佐史集成6)。ここに見える鎮衆とは波多鎮(親)の軍勢を指すものと思われ,松浦隆信と波多氏との間で合戦の行われたことが知られる。なお,厳木町浪瀬には,隣地岩屋にまたがって獅子ケ城址があり,また,平戸松浦家の祖源披の墓といわれる墓石(通称ヒラッコさん)がある。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7446174 |