野中村(近世)

江戸期の村名佐賀郡のうち佐賀平野中央部,筑後川支流巨勢【こせ】川の東岸に位置する佐賀本藩領古瀬【こせ】郷に属す村高は「正保国絵図」「天明村々目録」ともに487石余,「天保郷帳」では505石余「旧高旧領」には見えない「天明郷村帳」では小村に傍示・草原・立野・下野中がある「玄梁院様配分帳」「大小配分石高帳」ともに鍋島内記が地米高275石余を知行する野中草原の南端に鍛冶屋敷という藁葺きの家があり,藤原巨勢弾正一刀太と称する刀鍛冶が名刀を製作したといわれる(兵庫町史)寺院には立野に天正2年建立の浄土真宗本願寺派正見寺がある本尊は阿弥陀如来,皆念和尚の開山ほかに下野中に天正12年中牟田喜左衛門が珠鎮和尚を迎えて開山,建立した曹洞宗無量寺があり,本尊は千手観世音菩薩「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに若宮村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば,若宮村のうちに「野中村」と見え,戸数73・人口378

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7446279 |