志原村(近代)

明治22年~昭和30年の自治体名。はじめ石田郡,明治29年からは壱岐郡に所属。大字は編成せず。大原触・南触・西触・平人触・釘山触・久喜触の行政区がある。役場を大原触に設置。明治23年志原小学校は元の志原小学校・初山小学校の2校に分かれ,志原小学校は大原触に移転。同24年の幅員は東西25町・南北35町,戸数485・人口1,806(男920・女886),寺院1,学校1,大船2・小船111(徴発物件一覧表)。大正4年の「長崎県大観」によれば,戸数400・人口2,159,学校は志原尋常高等小学校があり,児童数は295(男167・女128),官公署には村役場,神社は弥佐支刀神社・大国玉神社,寺院には円光寺があった。また特産物として米982石,麦1,320石,大豆700石,甘藷9万6,000貫,菜種150石,一番鰑800貫・2,150円,鰯2万5,000カイ・7,500円,小鰯3万3,000カイ・4,000円,鯛2,500貫・2,000円,金属製品800円,石製品1,500円が記される。世帯数・人口は大正9年411・1,878,昭和10年406・1,910,同25年436・2,368。昭和30年郷ノ浦町の一部となり,村制時の各行政区は南触・西触は志原を冠称して他の行政区とともに同町の行政区に継承。なお,当地名は小学校・役場支所名などに残り,通称としても用いられている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7448456 |