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湯江村(近代)


 明治22年~昭和30年の南高来郡の自治体名。大字は編成せず。甲・乙・丙・丁の行政区がある。明治26年の「南高来郡町村要覧」には池田名・久原名・釘崎名・戸田名が見える(島原半島史)。明治24年の幅員は東西20町・南北1里18町,戸数603・人口3,556(男1,771・女1,785),厩327,寺院1,学校1,水車場7,小船28(徴発物件一覧表)。学校は尋常湯江小学校があり,簡易温知小学校は明治23年閉校。同26年の「南高来郡町村要覧」によれば,名別の戸数・人口は池田名169・1,019,久原名121・726,釘崎名174・1,044,戸田名140・842,村内の職業別内訳は清酒醸造1・醤油醸造1・絞蝋2・質屋2・呉服太物商1・居商17,樟脳製造場1か所,職工は大工11・船大工1・石工3・桶工6・左官1とあり,また「勤勉ノ風アリ,男女夜業ヲナサザル者ナク」と副業の盛んな様子がうかがえる。七島表・莚は男女の仕事で,ほかに男は畳作り,女は近世以来の木綿織で島原木綿生産の中心地であった(島原半島史)。特に女性については嫁をもらうなら「湯江おなご」と言われたくらいである。大正2年5月島原鉄道神代【こうじろ】~大三東【おおみさき】間が開通,同年湯江(現島鉄湯江)駅を設置。大正4年の「長崎県大観」によれば,学校は湯江尋常高等小学校があり,児童数は702(男347・女355),官公署には村役場があった。同6年の戸数・人口は721・4,843(男2,436・女2,407)で職業別戸数は農業658・漁業57・商業6。農産物は穀類のほか甘藷・はぜ,特にスイカは有名。農地のうちに他村民所有地の占める割合はおよそ3分の1,不在地主の多くは多比良村と島原町の地主である。水産業は明治後期以降に漁民・漁船数が増え,有明海沿岸でのタイ・ボラ・イカなどの漁のほかに一部の漁民は小型船で朝鮮・対馬近海にまで出漁した(湯江村郷土誌ほか)。昭和9年戸田名に農業地域の中堅人材養成を目的とした県農業訓練所が建設され,各地から派遣された青年たちの農業教育に当たった。のち県立雲仙農民道場,雲仙経営伝習農場と改称したが廃止された。廃止後の同28年跡地に深江村から県島原種畜場が移転し,周辺地域の畜産振興に寄与した。世帯数・人口は,大正9年786・4,227,昭和10年879・4,825,同25年1,085・6,444。昭和30年有明村の一部となり,当村の各行政区は湯江を冠称して有明村の行政区に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7449610