甘木村(近世)

江戸期~明治9年の村名。上益城郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」1,140石余,「正保郷帳」も同高でうち田665石余・畠475石余,「天保郷帳」1,229石余。「旧高旧領」923石余。なお氏家甚左衛門が地米高1,015石余を知行していた(肥陽諸士鑑/肥後読史総覧)。「肥後国誌」によれば,俗に南甘木村と称され,木倉手永に属し,高873石余,村内に甘木城跡がある。また文政8年頃の益城上郡手鑑によれば,高873石余,反別は田37町6反余・畑29町8反余,家数57・人数269,馬55(綾部家旧蔵文書)。氏神は甘木護比君神社で,縁起によれば,延久5年菊池則隆が建立。寛文年間細川家臣氏家氏が再建したと伝える。寺院は浄土真宗本願寺派長安寺。同寺は,俊芿が天台宗寺院として創立,廃滅後,天和2年慶心が浄土真宗寺院として再興したという。このほか天文8年創建という長慶庵と長養院もあったが(国郡一統志),現在は廃寺。明治初年頃の木倉手永手鑑(肥後国郷村明細帳2)によれば,竈数45,人数207,牛馬44,質屋2。熊本県を経て,明治5年白川県に所属。同9年高木村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7449842 |