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大倉(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ八嘉村,昭和29年からは玉名市の大字。明治24年の戸数108,人口は男260・女252。同年建設された九州鉄道は桃田の台地の北麓から大倉本村の南へ抜けていたが,昭和43年鹿児島本線の複線化に伴い,桃田の下にトンネルを掘開してカーブを減じた。水田は迫に作る程度で,大部分の畑は桑園として利用されてきたが,昭和33年頃から柑橘にかなり切り替えられた。木葉川沿いに迂回していた国道を直通にしようと村を東西に貫通する道路を昭和32年産業道路として建設し,同39年一般国道に昇格した。これが契機となって,昭和37~41年市営大倉団地が亀頭迫の古屋敷一帯に建設され,昭和40年太洋自動車学校,同45年玉名市交通公園も隣接してできた。さらに玉名市の中心街高瀬町とを結ぶ菊池川の高瀬大橋も昭和35年に架け替えられると,同46年大型の大倉幼稚園ができ,郊外型商店街が桃田の国道筋に形成されはじめた。また,大倉本村,立山北側の国道筋には昭和40年凸版ムーア,同45年九州三永金属などの工場も進出した。菊池川筋では御建池であった桃田池は早く水田化し,代わって伊倉から高瀬大橋へ出る道路も建設された。堤防の外の川原には刎内【はねうち】池ができて遊泳場となり,周辺が競馬場として使われることなどもあった。その後河川改修工事が完成すると,グリーンベルトとして整備された。桃田原・高田・東平にかけて市営運動公園が同65年完成を目標に建設中である。昭和59年現在の行政区別人口は大倉本村216・立山299・桃田128・亀頭迫279・大倉団地759。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7450450