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木倉村(近代)


 明治22年~昭和29年の上益城郡の自治体名。大字は編成せず。明治24年の戸数361,人口は男925・女882。同33年の戸数353・人口2,126(男1,021・女1,105)。同35年木倉尋常小学校は高等科を併設,木倉尋常高等小学校と改称。南木倉に大正11年県立御船中学校(現御船高校)創立。同12年に電灯布設。昭和5年日向往還(郡見坂道路,現県道田代御船線)が改修開通し,幌付乗合自動車が走った。同道には昭和26年から熊延バス(現熊本バス)が運行を開始。昭和3年の木倉尋常高等小学校の生徒数は,高等科男31・女15,尋常科男144・女174(大典記念上益城)。同校は同16年木倉国民学校となり,のち木倉小学校となる。同20年米軍艦載機により,益城製糸御船工場や御船中学校周辺が被災,北木倉の民家6戸が焼失した。同22年木倉村・高木村学校組合立木倉中学校創立。同26年御船町外3か村中学校組合が設立され,御船中学校となる。養蚕は明治中期頃には大半の農家に普及,同39年西木倉,同42年東木倉に稚蚕共同飼育組合を設立,同45年には238戸が従事(県養蚕統計書)。昭和2年には180戸・収繭量8,324貫,一時不況を経て同8年205戸・1万1,825貫で,同14年頃までが最盛期であった。しかし第2次大戦中,甘藷畑やラミー畑への転作などで減少した(県蚕糸業史)。同22年から復興したが,同24年87戸,同29年70戸と減少,現在13戸が従事。昭和23年葉煙草栽培が新しく導入され,耕作戸数63戸・面積2,560反で出発。各地区ごとに共同火力乾燥室を建設するなど,同38年から同42年頃が最盛期で,農業収入では米に次いでいた。現在耕作戸数は39戸。世帯数・人口は,昭和10年460・2,619,同25年548・2,911(男1,392・女1,519)。同年の農家数は278,家畜は役牛23・乳牛3・馬221・綿羊17・山羊37・豚19・兎56・鶏1,421(木倉村勢要覧)。同26年集中豪雨により矢形川堤防が決壊,北木倉の水田約4haが水没。昭和30年1月1日御船町の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7451271