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関町(近世)


 江戸期~明治22年の町名。玉名郡のうち。関村のうちに形成された町場と思われ,江戸末期までに同村から分町して成立。熊本藩領。高は「旧高旧領」871石余。「肥後国誌」では,関村のうちと見え,高787石余,小村に瓦屋敷が見え,町筋に上町・中町・田町・横町などがあると記され,竈数148,南関上番所・同下番所が置かれ,神社は障子岳権現社・天満宮・藪神3,寺院は浄土真宗西派の悟真寺・正勝寺・真光寺・正福寺,臨済宗西福寺。同書によると,瓦屋敷は古くは瓦師の居住した所で,地内大津山宮馬場の西を古町といい,農家が4,5軒あったが,村方に移って田地となっているとある。当地を含む南関地域には,幕末期~明治初期にかけて長野濬平による塾など3私塾があった。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同年田町を合併。小学校の育英堂が明治7年に設置され,同11年の生徒数は男169・女57(肥後読史総覧)。明治初期には瓦屋敷は関東村に編入されたと思われる。「郡村誌」によれば,田48町余・畑59町5反余,戸数317・人数1,547,馬40,水車4,字町屋敷に人民共立小学校があり,生徒数は男172・女58,物産は穀類のほか甘諸・櫨・楮皮・鎌・鍬・陶器など,民業は農業222戸・大工職6戸・左官職2戸・陶器職2戸など。明治22年南関町の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7452395