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三角町(近代)


 明治35年~現在の宇土郡の自治体名。村制時の3大字を継承。明治36年九州鉄道(現三角線)が現在地まで延長。三角線は,昭和2年八代以南の鉄道開通までは天草一円と水俣・出水【いずみ】(鹿児島県)などから本土へ渡る旅客を運び,海運業や造船業も進出した。駅との連絡港として駅前海岸に際崎港(東港)が移転進出。駅と直結した同港は,駅の乗降客貨の運送だけでなく,貨物船の入港,取扱量とも三角本港をしのぐようになり,現在,三角本港は西港,東港は三角港と称する。世帯数・人口は,大正9年609・2,481,昭和10年1,406・6,787,同25年1,791・8,445,同29年1,751・8,581。同30年戸馳・郡浦・大岳の3か村を合併。郡浦・大岳両村の6大字と戸馳を加え,10大字を編成。合併時の世帯数3,679・人口1万8,415。同41年天草五橋開通により,最盛期90万人を数えた天草航路は同54年3万人と激減する一方,天草五橋1号橋を渡り天草入りした観光客は,同50年に530万人となっている(町勢要覧)。昭和32年の耕地面積は,田449ha余・畑772ha余・果樹畑132ha余,同55年田369ha・畑54ha・果樹畑1,436ha。ミカンの生産量は,昭和32年2,350t,同45年9,150t,同50年2万9,000t,同55年3万4,000t。三角町農業は普通作農業経営から柑橘類を中心とする特産地形成の農業経営へと転換し,ミカン特産地の地位を確立したが,農産物輸入制限撤廃などの問題もある。世帯数・人口は,昭和40年3,686・1万6,018,同50年3,702・1万3,787,同55年3,687・1万3,271。現在,三角港の大規模な改修工事,石打ダム建設工事などが進められ,新しい観光地開発構想や商圏の拡大策などに,農・商・工を並進した施策が進められている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7454153