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山田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。球磨郡のうち。人吉藩領。村高は,「寛永郷帳」では1,144石余でほかに新田畑483石余,「正保郷帳」も同高でうち田788石余・畠356石余,「天保郷帳」2,108石余。「旧高旧領」1,993石余。諸郷地竈万納物寄によれば,宝暦・明和年間頃の家数324うち諸奉公人8・寺社3・郷士37,安永3年改の人数2,113,正徳2年改の反別は田116町余・畑87町余(斉藤氏所蔵文書/人吉藩の政治と生活)。天文24年以来相良氏は一向宗の信仰を禁じていたが,字西河内生まれの伝助は深く一向宗を信仰し,隠れ真宗として,たびたび京都へも本山詣りに出かけ,ついに天明2年に捕らえられ処刑されたという(真宗開教史)。その年次については,宝暦11年(球磨郡誌)とも寛政8年(相良家近世文書/県立図書館蔵文書)ともいわれ,字合戦峰【かしのみね】にはその供養碑がある。しかし一向宗の信仰は仏飯講の名で今日まで伝わり,山田の味園集落と神瀬谷の高沢集落の間には南無阿弥陀仏の6字の妙号幅と開祖親鸞の画像幅の隔年交換儀礼が現在も続けられている。字寺下の古義真言宗高寺院の毘沙門堂は,矢瀬主馬佑が平重盛の菩提を弔うために建立したものと伝え,付近の大王神社も矢瀬氏の建立にかかるという。人吉県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,戸数504・人口2,511,牛414・馬340,田128町8反余・畑442町7反余・山林519町5反余。同22年山江村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7454528