大分郡

明治4年11月14日森下景端は大分県参事に発令され,翌5年1月18日着任し,県庁を大分郡南勢家【みなみせいけ】町幸松雄三郎宅を仮庁舎として開庁した。2月7日県内10か所に支庁を設け,当郡には鶴崎に出張所が設置された。4月8日には岡出張所分割内で大分郡に属す村は本庁の所轄下に入れられている。県庁は3月1日旧府内藩校遊焉館に移され,さらに9月1日府内城内に移され,以来大正10年の県庁舎落成まで府内城が県庁として利用されている。明治5年6月出張所が廃止され,全県は本庁直管として,8大区に分けられた。当郡は第3大区となり,当分の間府内上市町安藤京平宅を第3大区会所とし,区長や戸長が詰めることになった。11月15日現在は27小区2万1,589戸・9万8,561人で会所詰戸長定員は4人。同6年3月25日大区会所が廃止され,小区ごとに用務所が置かれ,区長・戸長・保長が事務処理に当たった。同8年3月大小区域中で施政上不便があるとして,既定の小村町の分合が行われることになり,13日付け甲第30号で布達され,大分郡は3町142村。同11年の郡区町村編制法の施行で,大分郡役所は大分町に置かれ,3町142村を管轄する。全面積1万2,710町歩,地価433万4,326円余,地租10万8,387円余,戸数2万1,551・人口10万2,087,しかし11月7日の再調査命令の結果,面積は1万2,526町余・人口10万1,771と訂正。17年8月30日,町村役場所轄区域の制定が公布された。戸数400~450戸以上500戸以内をもって一区域とし,5町村以上の連合にならないことを目的としたもので,大分郡には34連合村が成立。21年4月法律第1号で町村制施行が発布され,本県では22年4月1日から実施。ここに至る間各町村に合併につき諮問しているが,小野連合村に合併を希望した竜原【たつはる】村の希望は却下され,鬼崎村内の同尻・田野小野【たのおの】地区の本村分離希望も却下されている。ただ町村制実施後といえども,現在のまま独立すべき町村として大分町(1,970戸)と河原内村(342戸)があげられている。これにより大分郡は34町村となった。27年10月29日先に却下された田野小野・同尻地区は,西稙田【にしわさだ】村から谷村に編入されたが,大字名は旧来通り鬼崎を使用することとされた。32年速見郡湯平【ゆのひら】村が大分郡に編入されている。40年4月1日,町村の廃置分合および境界変更により,大分町・西大分町・荏隈【えのくま】村・豊府【ほうふ】村が合併して大分町に,竹中村・河原内村が竹中村に,稙田村・西稙田村に,野津原【のつはる】村・諏訪村が野津原村となり,大分郡は28町村となった。44年4月1日大分市が成立し,当郡から独立する。なお吉野地区原村と西庄内地区原村は,明治13年7月27日甲第45号で吉野原村と庄内原村と改称された。昭和14年8月15日八幡村・滝尾村・東大分村が,同18年11月11日には日岡村が大分市に編入された。東部鶴崎地区では,昭和13年4月1日別保【べつぽ】村,18年4月1日三佐【みさ】村,19年2月11日桃園村が鶴崎町に編入された。なお戸次【へつぎ】村は大正10年1月1日町制を施行している。以下,郡内の事件を年を追ってあげると次のとおりである。明治10年薩軍に応じた増田宋太郎との戦い,18年大分中学校創立。21年大分始審裁判所開庁,33年大分・別府間に電車開通,40年歩兵第72連隊の設立,大正3年豊肥線大分~中判田間開通・大湯鉄道(現久大本線)開通,5年中判田~竹中間開通,15年7月郡役所廃止。昭和25年1月1日の郡界変更により,大野郡今市村,直入郡阿蘇野村・速見郡由布院村。北海部【きたあまべ】郡川添村が当郡に編入された。昭和28年の町村合併促進法により,翌29年3月31日には鶴崎町と明治・松岡・高田・川添4村が合併し鶴崎市となり当郡から独立。残る当郡内では,戸次町・竹中村・判田村・吉野村が合併して大南町が成立した。同年10月1日石城川【せきじようがわ】村・由布川村・挾間【はさま】村・谷村が合併して挾間村が成立,11月1日には,東庄内村・西庄内村・南庄内村・阿南村・阿蘇野村が合併した庄内村が成立した。翌年4月1日両村とも町制を施行している。30年2月1日稙田村・西稙田村・東稙田村・賀来村が合併して大分村が,由布院町と湯平村が合併して湯布院町が成立した。なお大分村は32年4月1日町制を施行し大分町となる。以後38年3月10日まで当郡は6町で構成されたが,10日付けで大南町・大分町が大分市に合併され,以来4町構成で現在に至る。昭和38年3月成立した大分市は新産業都市として膨張し,その背後地当郡のうち挾間町はベッドタウン的様相を呈し,また国立大分医科大学の設立などで急速な都市化現象を起こしている。野津原町には,県民の森・しあわせの丘などが建設され,清流七瀬川を組合わせた観光開発に力を注いでいる。庄内町は米どころであり,あわせてシイタケ・林業などの近代化を推進している。湯布院は国民保養温泉地として俗化防止に力を入れ,豊富な温泉・雄大かつ静かな環境は阿蘇国立公園地域に指定され,県立湯布院青年の家・日本体育協会の湯布院青少年スポーツセンターなど,自然を生かした町づくりに向かって躍進している。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7455413 |





