熊野(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ木花村,昭和26年からは宮崎市の大字。木花村役場が置かれた。明治24年の幅員は東西1里・南北30町,戸数431・人口2,034(男1,087・女947),厩236,寺院1,大船2・小船32(徴発物件一覧表)。昭和49年木花神社所蔵の鎌倉中期作で,寄木造りの木造阿弥陀如来立像が市文化財に指定された。現在地内には名分・田畑・仮屋・堂地の4地区がある。農業が全体の7割近くを占め,ほかに左官・大工・公務員・会社員などが居住する。農業はニンジン・煙草栽培,畜産が主で,なかでもニンジンは年間400t余りを生産する特産地である。住民の大半が土地っ子であるため地区のまとまりは抜群だが,一方では若者の農業離れや後継者不足などの悩みを抱えているのが現状でもある。学園都市計画に伴う住宅団地造成などにより静かな農村だった熊野はいま大きく変わろうとしている。世帯数・人口は,昭和38年775・3,661,同50年976・3,519,同58年1,140・3,712。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7460110 |





