100辞書・辞典一括検索

JLogos

27

毛吉田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。日向国那珂郡のうち。飫肥【おび】藩領。飫肥郷に属す。村高は,慶長10年415石余(御検地古今目録/日向国史下),元禄11年「日向国覚書」でも415石余,寛保2年には556石余(同前),「天保郷帳」では415石余,「旧高旧領」では525石余。「御検地古今目録」(日向国史下)によれば,慶長10年の反別は田畑屋敷合わせて35町8反余,寛保2年には同じく39町8反余。「天保五甲午年宗門改人数高」(近世飫肥史稿)によると,細田筋に属し,人数は291(男149・女142)。神社は諏訪神社と年ノ神があり,明治2年本村の西畔に合祀して毛吉田神社と改めた(日向地誌)。寺院は狭間の丘陵上に禅宗で板敷村長持寺の末寺宝昌寺があったが,明治5年に廃絶した(同前)。明治4年飫肥県,都城県を経て,同6年宮崎県,同9年鹿児島県,同16年宮崎県に所属。同17年南那珂郡に属す。「日向地誌」の著者平部嶠南が当村に調査に訪れたのは明治9年3月頃で,同書によれば,村の規模は東西約25町・南北約10町,東南は上潟村,西は塚田村,西南は萩ノ嶺村,北は熊谷村と接し,宮崎県庁からの里程は南へ約13里15町,地勢は「南ハ滝ケ平岳ニ面シ北ハ熊谷村界ノ岡巒ヲ負ヒ村中高低多ク村人多ク林麓ニ家ス,田畑多寡各相当ル,運輸便ナラスト雖モ薪炭ハ乏シカラス」と見え,地味は田畑ともに土質中ノ上,大豆の栽培に適すという。また,税地は田34町余・畑41町余・宅地4町余・切換畑1町余・山林33町余・原野5町余・藪8町余などの計129町余,官有地は山林6畝余,貢租は地租金515円余・雑税金103円余の計618円余,戸数78(うち神社1)・人数348(男182・女166),牛98・馬6,学校は上潟村に当村と共同の人民共立小学校があり,生徒数は男51・女46。民業は男女皆農業を営み,農間に椶櫚縄を綯う者8戸,牛馬売買2戸がいた。物産は糶350石・油菜子10石・楮皮5,60貫・椶櫚皮12万枚・薪2万束・柿子3万8,000顆。さらに,道路は細田往還が通り,湖沼は赤迫池・同所池があり,川は細田川が流れ,古跡として宝昌寺址が記されている。明治21年の戸数87・人口374,反別は田40町余・畑43町余・宅地4町余・池沼1町余・山林33町余・原野4町余・雑種地4反余の合計127町余,諸税および町村費の納入額は国税584円余・地方税210円余・町村費67円余・協議費8円余,村有財産は原野などが若干あるのみ(郡行政/県古公文書)。明治22年細田村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7460145