幸脇(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ岩脇村,昭和26年からは日向市の大字。明治24年の幅員は東西1里15町・南北25町,戸数150・人口670(男344・女326),厩70,学校1,大船5・小船44(徴発物件一覧表)。同43年現在地に幸脇小学校が設置された(日向市の歴史)。明治35年には飯谷漁業組合が結成され,美々津町の余瀬の漁業者と一緒に淡水魚の養殖を行った。耳川上流の飯谷は昔から鮎の産地として有名なところである(同前)。同36年には幸脇漁業組合が発足,イリコ漁が活気をおびており,大正期には漁業専業者もあらわれた(同前)。大正6年大火災が発生し,民家のほとんど(約70戸)を焼きつくし,製材所・日本型帆船や約800俵の木炭なども焼失したという(同前)。大正8年幸脇養蚕組合設立。昭和4年耳川の水力発電所ダム工事によって鮎が減少したため,飯谷集落の人たちは美々津の余瀬集落の人たちとともに県に陳情し,県はその被害に対し,養殖施設をつくることによって補償することになった(日向市の歴史・美々津郷土史)。同9年権現崎公園工事の竣工式が行われた。同23年富高用水路事業完成にともない,耳川の水勢が衰え,漁業関係者は被害を受けた(同前)。「県史蹟調査」によれば,昭和4年頃には飯谷に菅原神社,幸木に厳島神社がある。世帯数・人口は同35年301・1,310(男622・女688),同45年273・1,063(男494・女569),同55年301・1,137(男533・女604)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7460198 |





