恒久(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ赤江村,大正15年赤江町,昭和18年からは宮崎市の大字。赤江村・赤江町の役場が置かれた。明治24年の幅員は東西20町余・南北20町,戸数328・人口1,592(男838・女754),厩147,寺院1,学校1,大船1・小船27,ほかに城ケ崎が見え,幅員は東西4町余・南北2町,戸数213・人口1,063(男524・女539),厩3,大船14・小船36(徴発物件一覧表)。一部が,昭和47年大淀1~4丁目・東大淀1~2丁目,同51年中村東1~3丁目・天満1~3丁目・大淀1~4丁目,同52年恒久1~4丁目・恒久南1~4丁目・宮の元町,同53年月見ケ丘1~6丁目,同58年大坪東1~3丁目・大坪西1~2丁目となる。世帯数・人口は,昭和38年1,950・8,268,同50年4,278・1万3,614,同58年1,118・3,033。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7460473 |





