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坪谷(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ東郷村,昭和44年からは東郷町の大字。明治24年の幅員は東西1里2町・南北1里5町,戸数172・人口859(男430・女429),厩119,寺院1(徴発物件一覧表)。明治中期まではほぼ自給自足の生活であったが,明治33年富高~坪谷間の県道が開通し,当地の特産物として椎茸・木炭・木材・楮皮が移出されるようになり,それらの生産が飛躍的に進んだ。同43年木製つり橋の東郷橋が架けられ,それ以前の渡船による不便が解消した。昭和22年坪谷中学校が創立。同30年をピークに人口の流出や職業の変化が急速に進み,同50年には全戸数150のうち農家戸数134・人口659,このうち専業農家人口404となっている。昭和43年当地区の簡易水道施設が竣工。昭和42年坪谷保育園,同50年坪谷幼稚園が開設された。同55年坪谷集会所が落成。ほかに現在地内には官公署は坪谷郵便局・日向農協坪谷支所・日向警察署坪谷駐在所などがある。歌人として名高い若山牧水は明治18年8月24日に当地に生まれ,坪谷尋常小学校卒業までここで育ち,のち同32年創立の県立延岡中学校に第1期生として入学,同41年早稲田大学卒業の年に処女歌集「海の声」を出版,同43年の第3歌集「別離」で一躍歌壇の注目を集めた。遺稿集も含めて15歌集(約6,900首)があり,ほかに歌論や紀行文の著書も多い。昭和3年沼津市において43歳で没した。同22年牧水の生家の裏手に牧水の歌碑がつくられた。この歌碑は,若き日の牧水が毎日のように寝ころんで瞑想や読書にふけったという大石を利用し,牧水の筆跡で有名な愛郷の歌「ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきてをり」と刻まれている。ちなみに,牧水の旅や酒,愛郷の歌は広く愛誦され,歌碑は全国で80か所,県内で10か所にたてられている。同26年には牧水の生家・遺墨・遺品の保存を目的とした牧水顕彰会(会長は東郷町長)が発足し,毎年9月17日の牧水忌にちなんで同会主催による盛大な歌碑祭が行われている。同41年牧水の生家が県史跡に指定された。同家は牧水の祖父,蘭学医術も学んだ医者である若山健海が弘化2年頃に建築したもので,牧水が少年時代を過ごした当時の姿を今も伝えている。昭和42年牧水の生家の横に牧水の長男若山旅人の設計になる牧水記念館が開館し,牧水に関する資料を展示している。同48年牧水カルタができ,町内小・中学校で毎年カルタ大会を開催。なお,東郷町では行政区として町内を12区に分けており,当大字は坪谷区のうち下三ケに属する瀬平地区を除く地域にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7460484