妻町(近世)

江戸期~明治22年の町名。児湯郡のうち。佐土原藩領。佐土原城下・都於郡【とのこおり】町とともに佐土原3か町の1つで,商人町として栄えた。町方支配のため,元禄11年「日向国覚書」をはじめ郷帳類に村高は見えない。妻町は四面を幕府領穂北に囲まれた飛地であったが,藩と幕府領との境界の接触は緩やかであったので,米良地方の林産物や幕府領の米穀などの集散地として商業が発達した。町役人として町人出身の部当・横目・老名などが置かれ,幕末には本部・杉田・児玉・河野などの家が名家・富商として部当を出す家格になっていたようである(西都の歴史)。文化2年頃までは毎月4・9の日に市が立っていた。明治4年佐土原県,美々津県を経て,同6年宮崎県,同9年鹿児島県,同16年からは宮崎県に所属。「日向地誌」の著者平部嶠南が当地を調査したのは明治11年5月23日であるが,同書によれば妻町は単独で記載されず,妻村の字地の1つとして見え,町の規模は縦2町40間・横50間,戸数75,町内に郵便取扱所があり,また町の西北に人民共立小学校があり,生徒数は男60・女15。明治21年の戸数85・人口332,反別はなく,諸税および町村費の納入額は国税1,647円余・地方税302円余・町村費45円余・協議費35円(郡行政/県古公文書)。明治22年下穂北村妻の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7460486 |





