新田(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ新田村,昭和34年からは新富町の大字。新田村の役場所在地。明治24年の幅員は東西1里14町・南北1里17町余,戸数520・人口2,391(男1,195・女1,196),厩367,学校2,水車場8,小船40(徴発物件一覧表)。大正10年12月31日の「新田村勢一覧表」によれば,児湯郡南端に位置し,東は富田【とんだ】村,南は一ツ瀬川を隔てて佐土原町・広瀬村,西は下穂北村,北は高鍋町・上穂北村・上江村に接する。地勢は中央以北部は稍高原で谷間・森林があり,南部は一ツ瀬川に沿い大旨平坦で地味肥沃なため田園が多い。面積3方里余,東西1里28町・南北2里,戸数は本籍817・現住885,人口は本籍4,193(男2,177・女2,016)・現住4,665(男2,413・女2,252),学校は小学校の本校1・分教場1,神社は郷社新田神社のほか春日神社・諏訪神社・川床神社・一丁田神社・湯の宮神社・今町神社・焼石神社・山之坊神社があった。名所・旧跡は座論梅・石船塚古墳がある。農産物の作付面積は水稲538町・麦335町・大豆144町余,家畜は牛15・馬755,船車は小船15・荷馬車30・荷車43などを保有,官公署は村役場・巡査駐在所1があり,組合・団体数64,区を27区に分けた。昭和16年標高60~80mの北高・南低の洪積台地新田原に旧陸軍落下傘部隊の常駐飛行場として新田原飛行場が開設された。第2次大戦後は農地として開放されたが,同31年用地が接収され,翌32年12月航空自衛隊新田原基地として開設。当初は第3操縦学校として利用され,T-33Aジェット練習機による操縦訓練が行われた。昭和35年第5航空団が松島から移転。同39年3月,全天候型F-104ジェット機に改編。ジェット機による騒音公害が問題となり,同年4月から騒音地区の家屋の移転が始まった。新田の地域約60%は洪積台地上に位置し,北西部の北畦原・西畦原・東畦原では茶の栽培が行われる。北方の祇園原・北畦原,中央部の十文字・一丁田・湯風呂地区が畜産・肥育地帯である。春日・黒板・西畦原・東畦原・三財川一帯は酪農地帯。また牧神地区では養鶏,溜水地区では酪農・養豚,湯風呂地区では養豚が行われる。野菜の栽培は台地上の一丁田と平伊倉で低平地の山ノ坊でキュウリの露地栽培が行われている。昭和43年4月第1次農業構造改善事業(酪農構造改善事業)により,川床地区26.33ha・春日地区64.894haの基盤整備が行われた。学校は,新田中学校・上新田中学校・新田小学校・上新田小学校が上新田にある。昭和38年3月上新田小学校,同39年3月新田小学校・新田中学校・上新田中学校の防音改築工事が完成した。湯の宮の座論梅(国天然記念物)は,臥竜梅の一種で,横臥した枝が根付いて上方に幹をのばし,さらにその枝が横臥して根付く成長を長年にわたって繰り返し,現在では37の別株と見まがうようになっている。その様が,人が集まって座し,話し合っているようにみえることからこの名がある。単果で,多果性の八房梅(座論梅)とは異なる。原木の株の周囲は約2.5m。毎年2月上旬には多くの見物客でにぎわう。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7460642 |





