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都城郷(近世)


 江戸期の郷名。諸県郡のうち。鹿児島藩都城島津氏領の荘内(都城)七ケ郷の1つ。ただし,鹿児島藩全体から見れば都城郷に属し,その一部であった。都城島津氏の城附地である。郷内は麓と五口(弓場田口・鷹尾口・中尾口・大岩田口・来住口)に分けられていた。北郷忠相以前の城であった都城(城山)の城下周辺を五口,元和年間に作られた領主館を中心とする新城下(市街地)を麓という。五口には12か村あり,弓場田口には宮丸・郡元両村,鷹尾口には鷹尾・川東両村,中尾口には西五十町・横市両村,大岩田口には東五十町・南田辺・安久各村,来住口には上長飯・北田辺・下長飯・寺柱各村が属した。麓には本町・唐人町・平江町・新町(三重町・後町)の各町があった。都城郷の総高は,寛文4年「日向国諸県郡村高辻之帳」と「天保郷帳」によれば,約1万749石余であった。五口の各口には地頭が配されたが,知られる範囲での歴代の地頭は,鷹尾口は,島津忠能の時に北郷主膳正久根・小杉丹後守重頼,寛永17年神田橋甚左衛門尉助張,島津久直没後に神田橋新左衛門尉助森・川上四郎右衛門尉久与・相馬伝左衛門尉忠仍,島津久理の時に相馬仲右衛門尉久質・北郷次兵衛久高・北郷次左衛門久起,正徳3年大川原六左衛門義尭,正徳5年古垣賢右衛門俊門,中尾口は,島津忠虎の時に北郷次兵衛忠総,島津忠能の時に北郷主膳正久根,島津忠亮の時に北郷次右衛門尉久孝,寛永17年北郷清兵衛尉久宣,寛文7年北郷次左衛門尉久伴,延宝3年野崎仁右衛門重治,元禄7年日置八郎兵衛忠倶,宝永5年北郷七郎兵衛忠宣,正徳3年山内杢右衛門義長,正徳5年竜岡市郎右衛門資名,享保2年北郷喜兵衛資好,大岩田口は,島津忠虎の時に禰寝清右衛門尉,島津忠能の時に北郷新左衛門尉久満・北郷小兵衛尉忠泰,島津忠亮の時に北郷清兵衛久宣,島津久直の時に土持権助貞綱,島津久理の時に土持吉右衛門寛綱・野辺次右衛門尉盛武,元禄14年山内杢右衛門義長,正徳3年北郷勝右衛門資郷,享保2年北郷次大夫資盛,来住口は,島津時久の時に土持摂津介良綱,島津忠能の時に土持右馬助重綱・土持権助貞綱,島津久直の時に北郷主殿助忠持,島津久直没後に北郷与左衛門尉久秀,天和2年北郷五兵衛尉久陳,宝永元年林六郎右衛門重尭,正徳4年安山宗太夫親郷,弓場田口は,島津時久の時に本田左近将監親幸,島津忠能の時に和田正綱,島津忠亮の時に本田佐助親広,島津久直の時に北郷又次郎久常,島津久定の時に北郷新右衛門久秀,享保元年北郷仲左衛門,天和2年小杉与左衛門頼利,元禄12年林六郎右衛門重尭,宝永2年北郷五兵衛久陳,正徳4年北郷資賀(日向国史下)。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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