都城市(近代)

大正13年~現在の自治体名。町制時の3大字と4か町の通称地名を継承。64連隊解隊のあとをうけて大正14年都城23連隊発足。同年志布志線が全線開通。昭和7年には都城~国分間を結ぶ国都線(現国鉄日豊本線)が開通した。同10年陸軍特別大演習が都城盆地を中心に行われた。同19年川崎航空機都城工場が郡元に創設された。同20年8月6日空襲を受け,全市面積の20%が罹災した。11月に米軍都城進駐,同21年7月には撤退した。同29年陸上自衛隊都城駐屯部隊となり,同37年には連隊に昇格した。昭和10年の総生産額400万3,004円,うち農産68万6,054円・蚕糸176万2,041円・畜産29万3,942円・林産27万970円・水産3万7,917円・工産94万2,880円・鉱産9,200円,耕地面積1,122町,うち田671町・畑451町(県統計書)。同25年度の総生産額15億783万円余,うち農産4億6,845万円余・養蚕1,316万円余・畜産2,361万円余・林産349万円余・水産811万円余・工産9億9,091万円余,同年の民有有租地のうち田2,139町5反・畑2,061町4反・宅地616町6反・池沼2町2反・山林324町2反・原野86町9反,総農家数6,482戸,うち専業農家3,226戸・兼業農家3,256戸,農用地総面積4,594町9反,うち田1,926町7反・畑2,149町3反・樹園地119町2反・その他399町7反(県統計年鑑)。同35年の15歳以上就業者総数3万4,375のうち農業1万2,048・卸業および小売業6,934・製造業4,472など,農家総数8,008戸,うち専業農家2,899戸・兼業農家5,109戸,経営土地面積は田2万6,791a・畑2万7,858a・茶園166a・果樹園50a・桑園602a,同36年の民有有租地のうち田2,775.7ha・畑3,306.7ha・宅地856ha・池沼2.2ha・山林414.8ha・原野135.2ha(県統計年鑑)。同38年国道10号の拡張工事が行われ,中央通りが完成した。同39年国立都城工専が開校。同50年の民有地のうち田4,102ha・畑5,656ha・宅地1,794ha・池沼6ha・山林4,176ha・牧場1ha・原野1,376ha,15歳以上就業者総数5万6,494のうち農業1万8,349,林業・狩猟業185,漁業・水産養殖業33,鉱業53,建設業3,736,製造業7,480,卸売業・小売業1万1,276,運輸通信業2,187,サービス業8,702,公務3,315,農家総数1万1,183戸,うち専業農家2,586戸・第1種兼業農家2,701戸・第2種兼業農家5,896戸,経営耕地面積は田38万3,925a・畑40万253a・樹園地2万5,863a,昭和48年度の市民所得は総額840億円余,うち第1次産業72億円余・第2次産業205億円余・第3次産業563億円余(県統計年鑑)。同年当市の農協と北諸県郡の農協が合併して都城農協が発足した。同56年九州縦貫自動車道宮崎線が全面開通した。大正15年大字と通称地名を廃し24町を起立。昭和11年五十市【いそいち】村・沖水村を合併し24町6大字となる。昭和32年志和池村を合併し5か町を加え,29町6大字となる。同33年山田町,同35年荘内町と境界変更。同38年8か町が起立。同40年荘内町,同42年中郷村を合併し5か町を加え42町6大字となり,南九州の中核都市として第一歩を踏み出した。昭和41年から同53年に三股町・山田町・高崎町と境界変更。この間,昭和44年から同53年にかけて大字の改称や土地区画整理事業などが行われ83か町となる。世帯数・人口は,昭和10年7,201・3万6,575,同25年1万5,859・7万5,114,同35年2万1,680・9万2,230,同45年3万2,428・11万4,802,同55年4万1,597・12万9,009。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7460932 |





