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船瀬(中世)


鎌倉期から見える地名薩摩国入来【いりき】院のうち元亨2年3月13日の薩摩入来院内清敷北方水田検注帳に初見現在の入来町浦之名字庵之坂【あんのさか】の南部河畔地区船瀬に当たる小字名としては南方対岸に船瀬向がある船瀬とは奈良期に設置した船着場といわれ,川内【せんだい】川の支流入来川にまでこれを設置した所以は,同所は薩隅両国府間の最短距離上にある要衝だったことによるようである殊に養老4年の隼人族大反乱事件以後は,この一帯の隼人の懐柔に努めたようである奈良期においてもこの地方の首長は中世の清色城下に当たる一帯に居住したと推定されている当時の首長はこの地方の最高神山王神を祀る里宮神木の司祭者であったが,大和朝廷は同人を船瀬管理者に補任したために,同管理者は後世船瀬氏を称したのであろう上記元亨検田帳には「船瀬五郎四郎殿」と敬称付で記載してある他の重臣等には殿はないことから,渋谷地頭補任後75年の公簿に,なお殿付記載をなさしめた船瀬氏の残照威勢が明白にうかがえるその後入来院地頭は船瀬氏の弾圧に努め,長享年間のものと推定される算田日記では船瀬氏を船瀬門百姓に零落させている(入来文書)しかし江戸期に入り,入来院地頭は城内家臣団の産土神に船瀬氏司祭の山王神を採用したことから,船瀬氏を再び士分に昇格させた船瀬氏の祀る巨大神木は昭和12年に切られたが,周囲8m余,樹齢1,500年以上の巨杉であった現在,船瀬内に鎌倉期~戦国期の船瀬殿墓古石塔群80基が残っており,中世船瀬氏の威勢を語っている




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7463271