翁長村(近世)

王府時代~明治41年の村名。島尻方豊見城【とみぐすく】間切のうち。村名は「絵図郷村帳」に,おなか村と見える。乾隆53年(1788)から翌年にかけて,隣村保栄茂【びん】の鞁間志田から村内南喜雨川原へ用水路850間を開いて水害を除き,米20石余を収穫した。また同じ時に,水道川原尾辺に4,060坪の水田を開き,17石余の増収があり,これを蓄えて凶年に備えた(球陽尚温王2年条)。「由来記」に御嶽は見えないが,西平殿・潮間ノ殿・玉城ノ殿・宮里ノ殿があって,保栄茂ノロの祭祀。なお,現在では西平殿を西平嶽と呼ぶ。明治12年沖縄県,同29年島尻郡に所属。戸数・人口は,明治13年141・761(男388・女373),同36年186・875(男464・女411)うち士族3・14。明治36年の民有地総反別133町余うち田20町余・畑72町余・宅地7町余・山林3町余・原野27町余(県史20)。同41年豊見城村の字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7464069 |





