我謝(近代)

明治41年~現在の字名。はじめ西原村,昭和54年からは西原町の字。明治42年農商務省直轄の糖業改良事務局が置かれ,同44年に敷地は沖縄製糖に払い下げられ,同45年以降県の糖業試験場となる。糖業試験場は,サトウキビに関する応用的試験および模範作を行い,製糖の研究を進めると同時に,農家と対応して県下糖業の発展に寄与した(中頭郡誌)。我謝ウマイーと呼ばれる我謝馬場跡(幅8間・面積約3町)が残り,第2次大戦前まで馬場の両側に樹齢300年を超えるクヮディーサー(モモタマナ)の並木があった。海外への移民の多い字としても知られ,世帯の3分の2以上が移民に関係しているといわれる。行先は,ハワイ・ペルーが特に多く,ブラジルやアルゼンチンなどへの移民も見られる(西原町役場資料)。第2次大戦後一部が兼久となる。世帯・人口は,昭和45年349・1,646,同52年481・2,105。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7464107 |