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兼城(近代)


 明治41年~現在の字名。はじめ南風原村,昭和55年からは南風原町の字。昭和21年からは村役場の所在地。大正3年県営軽便鉄道与那原線が開通し,南風原駅が置かれた。昭和初期の駅利用状況は,旅客2万648人・貨物23t・収入1,585円(島尻郡誌)。沖縄戦中,日本軍が集落後方の森に偽砲座を設けて模擬陣地を築いたため,米軍の激しい砲撃を受けた(南風原村史)。兼城の一般戦没者数は133(男58・女75)うち6歳以下の子供17人で,第2次大戦直前の人口比22%が犠牲となった。地内での戦死者は14人で,ほかは現在の糸満【いとまん】市域で47人以上など,島尻郡域一帯に及ぶ。兼城出身の軍人・軍属の戦没者数は82(南風原町役場資料)。戦後一時期,園芸組合を作り,米軍向けの清浄野菜を2万坪栽培した。昭和23年南風原中学校創立,同25年現在地へ移転決定。同年村役所が現在の庁舎へ移転。サトウキビ栽培面積は,同41年2,700a,同55年413a,野菜は昭和43年109a,同55年682a。人口は,沖縄戦後米軍による収容先から帰住が許された昭和21年7月316,同30年501。世帯・人口は,同45年212・954,同52年537・2,145。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7464141