諸見村(近世)

王府時代~明治41年の村名。国頭方,はじめ伊是名島,のち伊平屋島のうち。「高究帳」では伊是名島しゆミ村と見え,高頭174石余うち田146石余・畑27石余。17世紀の終わりから18世紀初め頃に編集されたと思われる「伊平屋嶋旧記集」には首見村とも見える。「由来記」では伊平屋島諸見村と記す。旧暦11月に,作物の豊穣を願って行われる具志川折目の時に,伊是名ノロが伴神を従えて唱えるオタカベ「具志川折目の時三日前に,のだてごと」に,首見まきよ・首見くだの集落名が見える(オタカベ81/歌謡大成Ⅰ)。乾隆52年(1787)前の西銘親雲上が,掟役から総山当役まで精勤し,御臍所御番を19年間も勤め,下知をよくして貢租を遅滞なく完納し,綿子当のときは毎年綿子280把から315把を納めたとして褒賞された(球陽尚穆王36年条)。公儀祈願所に首見ノヲヒヤ火の神,島中拝所にヤブサス嶽御イビ(キウノ森)がある(由来記)。明治12年沖縄県,同29年島尻郡に所属。同31年9月砂糖樽検査所設置(県史16)。戸数・人口は,明治13年145・966(男498・女468),同36年172・1,323(男689・女634)。明治36年の民有地総反別378町余うち田98町余・畑111町余・宅地4町余・山林102町余・原野61町余(県史20)。同41年伊平屋村の字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7464481 |





