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田名村(近世)


 王府時代~明治41年の村名。国頭【くにがみ】方伊平屋島のうち。「高究帳」では田那村と見え,高頭206石余うち田169石余・畑37石余。田名家文書に,乾隆44年(1779)麻姓14世真幸,嘉慶10年(1805)同15世真英,道光12年(1832)同14世真彬,同30年同15世真儀が,田名里主所を受けた辞令書が残っている(県文化財調査報告書18)。乾隆52年比佐志原の5反余の天水田に,田名小堀の渡口から長さ50歩の溝を通し,播苗の田にするなどで,池田筑登之が褒賞された(球陽尚穆王36年条)。嘉慶23年佐子富浜に塩田を設け,また竹を植えつけるなどで,伊礼筑登之らが褒賞された(球陽尚灝王15年条)。公儀祈願所に田名ノヲヒヤ火の神・田名ノロ火の神・ヲツ川嶽御イビ(アフリ森)・城嶽御イビ(コシアテ森),島中拝所にアサ嶽御イビ(コンダ森)・三崎御イビ(アウサキ森)・マセヤ嶽御イビ(アカラ森)がある(由来記)。当地に伝承される「大城ごゑな」は,シヌグの時に神アシャギで謡われたもので,大城・天城の築城過程を描いている。このクェーナに「うふぐしく」「あまぐしく」「うふがにく」の地名が見えるが比定地は未詳(クェーナ136/歌謡大成Ⅰ)。明治12年沖縄県,同29年島尻郡に所属。水害・潮害がひどく,明治13年田名川の改修工事が行われたが,3年目に大暴風にあって破壊され,同38年再び改修した(伊平屋村史)。明治24年ウザナ橋をサンゴ石灰石で建造。同28年芋種ナガハマー種が普及。戸数・人口は,明治13年123・603(男312・女291),同36年190・1,124(男546・女578)うち士族23・139。明治36年の民有地総反別341町余うち田87町余・畑146町余・宅地11町余・山林24町余・原野69町余(県史20)。同41年伊平屋村の字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7464588