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富盛(近代)


 明治41年~現在の字名。はじめ東風平村,昭和54年からは東風平町の字。昭和5年の戸数294・人口1,419(東風平小学校50年記念誌)。八重瀬岳は,沖縄戦で南部戦線の拠点となり,中腹の自然壕は日本軍の野戦病院に利用された。昭和49年付近の遺骨1,500柱を納めた八重瀬の塔がたてられた。昭和23年の戸数300・人口1,284(村総務課配給人口)。同26年頃南米のボリビア・ブラジルなどへの移民が目立った。同30年の農作物作付反別は,米9万3,000坪余・サツマイモ7万7,000坪余で,第2次大戦後の食糧自給奨励期には天水田による米の作付面積が大きかった。同48年には当地の面積の3%に当たる9万m[sup]2[/sup]余が田,55%に当たる154万7,000m[sup]2[/sup]余が畑となり,東風平村では最大の耕地面積。耕地は集落周辺のジャーガル地帯と八重瀬岳一帯のマージ地帯に分かれる。八重瀬岳頂上付近は陸上自衛隊那覇【なは】駐屯地与座分屯地と,同50年に設けられた那覇カントリークラブとなっていて,耕地は中腹の八重瀬公園付近に残るだけである。昭和32年米軍ナイキ基地建設のために用地接収され,石灯籠が現在地に移され,住民の崇べ所となっている。同43年南部産業技術高校が創設され,同45年南部工業高校となる。世帯・人口は,同年251・1,264,同52年276・1,318。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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