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牧志(近代)


 昭和54年~現在の那覇市の町名。1~3丁目がある。もとは牧志町1~2丁目・壺屋町の各一部。区画整理の行われなかった牧志町は,従来の畑地を中心とする地番から新しい住居表示へと変更し,これに伴い町名も牧志と称するようになった。戦前,牧志町は那覇市の場末にあって,静かな農村集落という印象であった。戦後は,旧那覇市のほとんど全域が米軍管理の立入禁止地域となり,民間への開放がなされないうちに,地方に分散していた旧市民や内外からの引揚者が,住宅建築が許可された現国際通り東側の牧志・壺屋・樋川地区に集居し,那覇市復興への兆しはここから始まった。その第一歩が市場の開設で,市場は開南交番西面の中央通りから始まった。当時はまだ自由経済は実施されず,商品はすべて禁止品目のアメリカ製品だったので,闇市の形で開かれた。それでもこの市場は住民の生活に大きく寄与した。しかし市場は狭く,交通上からも不適当なので,昭和23年4月現在の場所に移転した。ここでは国内産の品物の販売を原則とし,全県の物資の集散地として,急速に経済活動の中心をなすに至った。この間,国際通りにも商店が立ち並ぶようになり,市場の外側に当たる平和通りにも商店が密集した。この地域は交通の便と相まって沖縄経済の中心となっている。昭和57年の世帯・人口は,1丁目782・2,427,2丁目1,014・2,870,3丁目1,052・2,983。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7465083