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読谷山間切(近世)


 王府時代~明治41年の間切名。中頭【なかがみ】方のうち。読谷山郡・読谷山県とも書く(旧記・球陽)。「絵図郷村帳」で比謝・湾・古堅・渡具知・楚辺・城【ぐすく】・上地【うえち】・波平【なみひら】・高志保・渡慶次【とけし】・宇座・瀬名波・伊良皆・喜名・長浜・真栄田【まえだ】・古読谷山・久良波・仲泊・上ふづき・下ふづき・谷茶【たんちや】・塩屋・よくた・きんはまの25か村が見える。「高究帳」では合高4,963石余うち田626石余(永代荒地28石余を含む)・畑4,336石余。康煕12年(1673)に創設された恩納【おんな】間切に8か村を編入。そのほか村の新設や村名の改称などがあり,「由来記」「旧記」では比謝・大湾・古堅・渡具知・楚辺・座喜味・上地・波平・高志保・渡慶次・宇座・瀬名波・伊良皆・喜名・長浜・儀間の16か村となり,近代に至る。間切番所は喜名村に置かれた。按司地頭は,向姓読谷山御殿。総地頭は,順治5年(1648)に任ぜられた毛姓6世盛泰から,同治5年(1866)の毛姓15世盛範まで座喜味殿内があたった(毛姓小宗家譜/那覇市史資料1‐7)。拝所は,御嶽・森が10,殿13,ノロ火の神5などがあり,6人のノロが祭祀にあたった(由来記)。明治12年沖縄県,同29年中頭郡に所属。那覇【なは】からの移住者による都屋・大木,首里からの移住者による牧原・長田・親志などの屋取が形成された(各町村字並屋取調)。明治期になって許可された杣山の開墾面積は,中頭郡で最も大きく,明治27年3月の指令坪数167万6,704坪のうち現在坪数56万6,194坪・既開地坪数7万4,795坪,移住者は44戸・159人(県史16)。戸数・人口は,明治13年には瀬名波村の戸数は誤りと思われるが1,928・9,875(男5,088・女4,787),同36年2,740・1万3,642(男6,875・女6,767)うち士族499・2,761。明治36年の民有地総反別2,603町余うち田117町余・畑1,789町余・宅地132町余・山林336町余・原野221町余(県史20)。同41年島嶼町村制により自治体の読谷山村となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7465226