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十五浜
【じゅうごはま】


旧国名:陸奥

追波(おつぱ)川河口の南東部。雄勝(おがつ)半島とその縁辺の汎称地名。釜谷(かまや)浜・長面(ながづら)浜・尾ノ崎浜・名振(なぶり)浜・船越(ふなこし)浜・大須(おおす)浜・熊沢浜・桑浜(くわはま)・立浜(たつはま)・大浜・小島(おじま)浜・明神浜・雄勝浜・水浜・分浜の15の浜の総称。半島の脊梁をなす山々の裾が海に迫り,海浜の谷状低地に集落がある。集落間の連絡は古くは舟または峠道を利用した。海産物の豊かなことで著名。縄文時代の貝塚が多く,尾ノ崎の大浦貝塚・名振貝塚,大須の宇島貝塚・立浜貝塚・大浜貝塚,雄勝の天雄寺・台・苗圃(なえぼ)の諸貝塚,水浜の作楽(さくら)神社貝塚などは岩礁性貝類や外洋性魚獣骨等を出土する。古代の桃生(ものう)郡に属し,「和名抄」の同郡余戸(あまるべ)郷とする説もある(地名辞書)。大浜の石峰山(いしみねやま)石神社は式内社桃生郡六座の1つ石神社に比定され,大須は前九年の役の安倍氏の隠棲地ともいう(雄勝町史)。中世はおそらく葛西氏の所領。尾ノ崎に長石武山館跡・宮下館跡・大浦館跡・滝浜館跡があり,雄勝に雄勝古館跡,名振に京ケ森館跡がある(仙台領内古城・館)。また尾ノ崎・大浜・雄勝に弘安から応永紀年の板碑群があり,船越・大須・熊沢・桑浜・立浜・分浜にも中世板碑が点在する(河北町誌・雄勝町史)。開発の経緯について大浜・呉壺(くれつぼ)(雄勝浜)・立浜・羽坂(はざか)(桑浜)・船越の順に開かれたと伝えており(雄勝町千葉雪麿所蔵文書),室町期に各浜で網の瀬祭りをしたとも伝えている(同前)。
十五浜(近世)】 江戸期~明治22年の地域名。
十五浜村(近代)】 明治22年~昭和16年の桃生郡の自治体名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7600854