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糠野村
【ぬかのむら】


旧国名:出羽

(中世)戦国期に見える村名。出羽国檜山(ひやま)郡のうち。史料上の初見は天正19年正月17日豊臣秀吉朱印安堵状写(秋田家文書)。秋田実季当知行地の村として,「小掛(こがけ)村・大沢村・糠野村」418石余とあるが,「文禄元年秋田家分限帳」に家臣大高甚助の代官給地糠野村346石とあるのが当村の石高とみられる。米代(よねしろ)川の支流藤琴(ふじこと)川は当時糠野川といい,サケ漁が盛んで,慶長5年に代官大高氏は170尾の糠野川御役鮭を檜山城に納入している(秋田家文書)。糠野村が川名によるか,川名が村名によるか未詳であるが,藤琴川支流粕毛(かすげ)川を含む糠野川の西方一帯を占めた村である。米代川との合流地点を望む西方山地上の館平(たてひら)城の館跡は,嘉吉年間額田(ぬかだ)重親の居館といい(夏井家文書など),長享2年檜山城主安東政季は南部勢との抗争に敗れ,「河北郡糠野城」で自殺したとも伝えられている(新羅之記録)。近世秋田藩政下では,村切りと新田開発により,当村は荷上場(にあげば)・矢坂(やさか)・粕毛の3か村に分村されたと推定される。地名は,当地方では小字にも現存せず,粕毛村の曹洞宗自福寺の山号糟池山などにかすかに刻まれただけである。なお,慈覚大師開基の縁起をもつ天台宗梅林寺や真言宗太平山長谷寺が高岩(たかいわ)山の麓の当村にあったといい,いずれも近世に曹洞宗高岩山梅林寺・曹洞宗天神山清徳寺として比井野(ひいの)村に再建されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7601015