上阿久津
【かみあくつ】

旧国名:下野
宝積寺(ほうしやくじ)丘陵と鬼怒(きぬ)川左岸の間の狭い氾濫低地帯に位置する。地名の由来は,阿久戸・圷と同様,字義の通り水辺低湿地の地形を表現した地名である。北西部に隣接する勝山台地は,宝積寺丘陵がはじまる北端で,縄文時代の遺跡がある。中世には氏家郡24郷の領主,氏家氏の居城勝山城がある。阿久津氏はその配下で,東南丘陵上に阿久津城を構え,上・中・下阿久津を領分としていたが,慶長2年に勝山城とともに廃城となったという(今宮祭祀録)。「今宮祭祀録」に「同(応永)二十〈癸巳〉氏家頭〈上阿久津郷〉舟生修理亮・阿久津五郎,〈下頭〉下阿久津の孫八」とある(大日料7-19)。
【上阿久津村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【上阿久津(近代)】 ①明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7601560 |





